物価上昇や円安が続き、金融政策も転換点を迎える中、日本経済はこれからどのような政策を取るべきなのか。
日本銀行政策委員会審議委員を務め、リフレ派の経済学者として知られる原田泰氏は、現在の物価上昇を理由に、アベノミクス以来続いてきた「高圧経済」をやめるべきではないと指摘する。一方で、政府が重点分野を定めて投資を促す成長戦略については、その効果を慎重に見る。
昨年、グローバル政策研究機構(GRPI)の「エビデンスを活かした健康づくり政策研究会」で座長を務めた原田氏に、今回は本来の専門分野である経済政策について、データや経済理論に立ち返り、高市政権の経済政策「サナエノミクス」をどう見るのか、そしてこれからの日本経済にどのような政策が必要なのかを聞いた。インタビューの模様を、前後編にわたって紹介する。(前編はこちら)
名古屋商科大学ビジネススクール教授 原田 泰
東京大学農学部農業経済学科卒業、米ハワイ大学経済学修士。学習院大学博士(経済学)。1974年に経済企画庁に入庁し、国民生活局国民生活調査課長、調査局海外調査課長、財務省財務総合政策研究所次長などを歴任。その後、大和総研専務理事チーフエコノミスト、早稲田大学政治経済学術院教授などを経て、2015年から2020年まで日本銀行政策委員会審議委員を務めた。
一般社団法人グローバル政策研究機構(GRPI)の「エビデンスを活かした健康づくり政策研究会」で座長を務め、「健康づくり政策の実効性・実践性向上に向けた提言」の取りまとめに携わった。
物価高、その要因をどう見極めるか
一般社団法人グローバル政策研究機構 代表理事 黒田岳士(以下 黒田)ここまで、日本がなぜ長い間所得を増やすことができなかったのか、そして、所得を増やすために何を変えるべきなのかについて伺ってきました。では、そうした観点から、現在の日本経済と高市政権の経済政策をどう見ていますか。
高市政権は、需要をある程度強い状態に保つことで、企業の投資や雇用を促し、賃金や所得の上昇につなげる、いわゆる「高圧経済」を志向しています。一方で、足元では物価が上昇し、日本銀行も金利を引き上げています。こうした環境の中で、さらに高圧経済を続けることには慎重な見方もあります。
名古屋商科大学ビジネススクール教授 原田泰(以下 原田)まず、物価がなぜ上昇しているのかを考える必要があります。物価上昇には、供給面の要因と需要面の要因があります。需要面の要因で物価上昇率が3%、4%になっているのであれば、それは早めに感知して、2%からあまり上がらないように引き締めなければいけない。
しかし、今の物価上昇は、エネルギー価格が上がったとか、米の価格が上がったとか、供給面の要因が大きいわけです。例えば昨年は米の価格上昇だけで、物価上昇率を0.6%ポイント押し上げている。これは金融政策ではどうしようもないことです。
黒田)供給側の要因による物価上昇を、金融引き締めによって無理に抑えるべきではないと。
原田) そうです。例えば石油価格が上がったとします。それでも物価上昇率を2%以下に抑えようとすれば、石油以外のものの価格を下げなければならない。他のものの価格を下げるということは、他のものへの需要を減らして価格を下げるということです。それは要するに、「不況をつくることで物価を下げる」ということになります。
もちろん、石油価格の上昇によって物価が5%も上がるというのであれば、また別の問題です。しかし、石油価格の上昇によるコスト分だけ物価が上がっているのであれば、ある程度は容認した方がいい。その方が、不況を大きくしないで済みます。
黒田)物価上昇率だけを見るのではなく、物価上昇が需要によるものなのか、供給側のコストによるものなのかを見極める必要があるということですね。
原田)そういうことです。例えば、「原油価格が上がったから、いろいろなものの価格が大きく上がる」と言われますが、産業連関表でコスト構造を考えると、原油価格が50%、100%上がったとしても、直接関係のない普通の商品まで同じように上がるわけではありません。
ガソリンのように原油価格の影響を直接受けるものは、もちろん大きく上がります。一方で、例えば刺身のトレイの価格が上がったとしても、刺身の販売価格全体に占めるトレイの割合はわずかです。さらに、そのトレイの製造コストの全てが石油というわけでもありません。
だから、数量的に考えなければいけません。原油価格が上がったというだけではなく、それによって最終的な物価が実際にどの程度押し上げられるのかを見る必要がある。「石油価格が上がったから物価が大変だ」という議論も、数量的に見れば、大げさになっているところがあると思います。
黒田)そうすると、現在の物価上昇を理由に高圧経済そのものをやめる必要はないということですか。
原田)そう思います。今の物価上昇は供給側の要因によるところが大きい。そうであれば、金融政策を引き締めすぎて、今のサナエノミクス、高圧経済を止めてしまうのは間違いだと思います。
むしろ高圧経済を続けながら所得を上げていく。そのために投資をしていくことが重要だと思います。
それに、高圧経済というのはサナエノミクスになって突然始まったわけではありません。アベノミクス以来、続けてきたものです。
その効果の一つが、就職氷河期がなくなったことだと思います。バブル崩壊後にも、リーマンショック後にも就職氷河期がありました。コロナもリーマンショックに匹敵するような大きなショックだったわけですから、その後に就職氷河期が起きても不思議ではありませんでした。でも、そうはならなかった。それは、アベノミクス以来、高圧経済を続けてきたことが大きいと思います。
だから、今の物価上昇のうち、需要の強さによる部分がまだ小さいのであれば、高圧経済は続けてもいい。もちろん、需要によって物価が大きく上がるようになれば、その時は高圧経済を縮小していかなくてはなりません。
米国自身が円安要因を作っている
黒田)一方で、米国からは円安への懸念とともに、日本に金融引き締めを求める声も出ているようです。高圧経済を続けようとする日本に対して、外からはむしろ金融政策を引き締める方向への圧力がかかっているともいえます。この点はどう見ていますか。
原田) 為替は難しい問題です。日米の金利差は縮小しているのに、円安が継続しています。
為替アナリストの説明を聞いていても、「今は金利差が効く局面だ」と言ったり、「今は構造的に円安になる局面だ」と言ったりしています。要するに、為替には統一理論がなく、その場その場の理論になっていると思います。

実際、円安については金利差以外にも様々な要因があります。資本がどちらに動くかということが非常に大きい。例えば、トランプ大統領は日本に5500億ドルの対米投資を求めています。これだけの資金が日本から流出すれば、それ自体が円安要因になります。
もう一つは関税です。日本からの輸入品に15%の関税がかかれば、日本製品の価格競争力は低下します。日本製品の需要が減り、円の需要が減れば、円安方向への力が働きます。つまり、トランプ関税も円安要因の一つといえます。
それなのに、米国からは「円が安すぎる」「円を上げろ」と言われる。日本側は、米国が求める対米投資も関税も、円安の要因になっているともっと言った方が良いと思います。
成長分野を選ぶことより、政府がやるべきこと
黒田)サナエノミクスでは、高圧経済とともに、政府が重点分野を定めて投資を促す成長戦略も打ち出されています。この点についてはどう評価しますか。
原田)いろいろな分野に投資するということですが、過去の例を考えると、本当にそれで成功するのかなという疑問はあります。
例えばクールジャパンです。あれ失敗です。そもそも漫画やアニメというのは、政府が育てたわけではありません。民間の人たちが、自分たちで作り上げて成功させた。成功してからいろいろな人が入ってきて、そこに政府も入っていったわけです。
政府がやるのであれば、民間ではなく、もっと政府にしかできないことをやればいいと思います。例えば、知的財産を守ることです。海外で知的財産をめぐって訴訟をしようとすれば、非常にお金がかかります。そういった部分を支援するとか、漫画や映画のアーカイブを整備することもできるでしょう。
そういうことであれば、政府が果たすべき役割もはっきりしていますし、それほど巨額の予算が必要なわけでもありません。
黒田) 政府自身が「この産業を成長させる」と決めて大きなお金を投入するより、民間が活動しやすい基盤を整えることに政府の役割を絞るべきだということですね。
原田) そうです。ただ、今回の重点分野には安全保障に関連するものも多く、そこは少し事情が違うと思います。例えば、中国から「レアアースを売らない」と言われれば困るわけですし、造船業が国内からなくなっていいのかという問題もある。安全保障上、政府が一定の役割を果たさなければならない分野はあります。
ただし、安全保障であっても効率は大事です。例えば安いドローンを撃ち落とすために、何億円もするミサイルを使い続けていたら持ちません。だから、迎撃ドローンを使うといった議論が出てくる。
国防や安全保障だからコストを考えなくて良いということにはなりません。どれだけのコストで、どれだけの効果が得られるのかということを考えなければいけないと思います。
「働いたら損」をなくす、給付付き税額控除という選択肢
黒田)もう一つ、現在議論されているのが、食料品の消費税率の引き下げと、その先にある給付付き税額控除です。所得の低い人に対して、税負担の軽減と給付を組み合わせる仕組みですが、導入されると何が変わるのでしょうか。
原田)今はいろいろな「年収の壁」がありますよね。一定以上働くと税や社会保険料の負担が増えて、収入を増やしても手取りがかえって減ってしまう場合がある。そのために、壁を超えないように労働時間を抑える「働き控え」が起きています。
給付付き税額控除をきちんと設計し、ある所得水準を超えた途端に手取りが大きく減るという問題をなくし、「働いたら損をする」という状況を解消するべきです。
実際にどのような制度になるのかはまだ分かりませんが、所得の低い層が働くことによって損をすることがないようにする。それだけでも非常に大きなことです。私のかなりラフな試算ではありますが、こうした働き控えによって、日本の国内総生産(GDP)は2%ぐらい損をしているのではないかと思っています。とすれば、働き控えをなくすことによってGDPを増やすことができます。
もちろん、制度をつくれば財政負担が生じますし、財政赤字が増えるという議論は当然あります。ただ、財政赤字が多少増えることより、それによってGDPが増えることの方が大事だと思います。GDPが増えれば、税収もある程度戻ってくるのです。
黒田)給付付き税額控除というと、所得の低い人への再分配政策というイメージが強いですが、労働を促す仕組みでもあるわけですね。
原田) 給付付き税額控除といっても、どういう制度をつくるかによって違います。
基本的には、所得が低い人には給付し、所得が増えてくれば税額を控除する。その両方をなだらかにつなげていく仕組みです。世界的に見ると、労働所得と結びつけた制度が多い。ですから、単に所得が低い人にお金を配るというだけではなくて、働くことを促すという意味もあります。そこはあまり理解されていないと思います。
黒田)ベーシックインカムとは、そこが違うわけですね。
原田) そうですね。ベーシックインカムは、基本的には所得が何であるかとは関係なく配るものです。
給付付き税額控除は、制度のつくり方にもよりますが、勤労所得と結びつける。だから「年収の壁」の問題ともつながってくるわけです。
黒田)一方で、給付付き税額控除を本格的に導入するとなると、かなりの財源も必要になりますね。
原田) そうですね。所得の低い人の税や社会保険料の負担を、他の先進国並みに軽くしようとすれば、私のラフな試算では10兆円ぐらい必要になるのではないかと思います。
5兆円の食料品の消費税減税を2年後にやめて、給付付き税額控除に切り替えるのであれば、それに代わるだけの十分な規模の制度にしないと、なかなか「こちらの方がいい」とは言えないですよね。ただ、アメリカ、イギリス、カナダなど、多くの国がすでに実施している制度です。他の国が実際にやっているのであれば、日本でもできないことではないと思います。
黒田)制度を導入する場合の問題点はありますか。
原田)一つは、所得を正確に把握できるかという問題です。給付を受けるために、できるだけ自分の所得を低く見せようとする人は当然出てきます。不正受給も起きるでしょう。そういう問題があることを前提に制度を設計しなければいけません。
ただ、制度に問題があるから制度そのものを導入しないということではないと思います。大事なのは、現行制度と比べてどちらがいいのかを考える必要があるということです。
黒田)ここまで、2年後に食料品の消費税減税を終え、給付付き税額控除に移行することを前提に伺ってきました。ただ、そもそも政府が想定しているように、食料品の消費税減税を本当に2年後に終えることはできるのでしょうか。一度引き下げた税率を元に戻すのは、簡単ではないように思います。
原田)戻すのは大変でしょうね。だから、その時にはしっかりとした給付付き税額控除をつくって、「こちらの制度の方がいいから、消費税率は元に戻します」と言わないといけない。
それだけの制度をつくれるかという問題はあると思います。
経済政策を「印象」で語らない
黒田)格差、物価、財政、為替と、さまざまなお話を伺ってきましたが、経済学の基本的な考え方や数量的な分析が十分に踏まえられないまま、経済財政政策が論じられていることへの問題意識が、一貫してあるように感じます。
原田)そうですね。例えば物価でも、身近なものの値段が上がると、ものすごく物価が上がっているように感じます。牛丼が高くなった、マクドナルドが高くなった、野菜が高くなった。そういうものは非常に印象に残ります。しかし、個人の体験を、経済全体の話として語りすぎているところがあると思います。
個人として「高くなった」と感じるのはもちろんいいのですが、政策全体を考える時まで、身近な印象だけで議論してはいけません。一歩引いて全体を見て、経済理論やデータも踏まえて考えなければ、正しい結論には辿りつかないと思います。
財政赤字についても、「これだけ赤字があるから大変だ」と言われますが、実際に経済にどのような影響を与えているのか、どんな根拠があるのかを考えなければいけません。政府債務についても、総債務で見るのか、政府資産を差し引いた純債務で見るのかによって、見え方は大きく変わります。政府には債務だけではなく、資産もあります。
ですから、債務の数字が大きいというだけで「危ない」と言うのではなく、その数字が何を表しているのか、きちんと見る必要があります。経済政策については、こうした論理や数量的な関係を十分に考えないままの議論が、あまりにも多いと思います。
政策を考えるとき、自分で制約をつくらない
黒田) 原田先生は経済学者として研究を続ける一方、政府や日本銀行で経済政策に携わってこられました。現在、経済政策の現場で働いている後輩達にどのようなことを伝えたいですか。
原田)「こんなことを言ってはいけないのではないか」「こういうことをやってはいけないのではないか」と、自分で制約を課しているところがあると思います。そういうものは取り払って、自由に考えなければいけません。
もちろん、考えたことを全部書いて、どんどん発表するかどうかはまた別の話です。しかし、考える段階から自分で制約をつくる必要はない。
それから、論理と数量的な関係を無視した議論に対しては、もっと表に出て批判していいと思います。例えば、為替が10%下がったら物価が10%上がるというような単純な話ではないし、為替レートが何で決まるのかも、そんなに単純ではありません。
だからこそ、論理と事実、そして数量的な分析に基づいて考え、それをしっかり議論していくことが大事だと思います。
黒田)今回のお話を通じて、経済政策を考える上では、実際に何が起きているのか、その背景に何があるのかを、経済理論やデータに基づいて検証することの重要性を改めて感じました。
GRPIでは、政策の目的だけでなく、実際に機能するのか、期待した効果につながっているのかという「実効性」と「実践性」を重視しています。印象や通念にとらわれず、事実とデータに立ち返り、より機能する方法を考え続ける。今回のお話は、そうした政策のあり方を考える上でも、多くの示唆をいただく機会になりました。(了)

聞き手 黒田岳士・一般社団法人グローバル政策研究機構 代表理事