病気を治療することと、人を健康にすることは同じではない。経済的な困窮、孤独や孤立、家族や地域との関係、仕事や住まいなど、私たちの健康は、医療だけでは解決できないさまざまな要因に左右されている。

こうした健康を左右する社会的な要因に目を向け、人と人とのつながりや地域での居場所を「健康を支える資源」として捉えるのが「社会的処方」だ。

日本における社会的処方の提唱者で、京都大学大学院医学研究科の近藤尚己教授に、社会的処方を通じて見えてくる、これからの医療や地域、健康政策のあり方について聞いた。

1時間以上にわたるインタビューのエッセンスを2回に分けてお送りする。(前編はこちら)

 

京都大学大学院医学研究科 社会健康医学系専攻 社会疫学分野 教授 近藤尚己

医師・博士(医学)。2000年山梨医科大学医学部医学科卒、同大大学院博士課程修了。米ハーバード大学公衆衛生大学院研究フェロー、山梨大学大学院社会医学講座講師、東京大学大学院医学系研究科准教授などを経て現職。専門は社会疫学・公衆衛生学で、健康に影響を与える社会的要因と健康格差に関する疫学研究を進めている。

 

「自分の健康は自分で守る」でいいのか

一般社団法人グローバル政策研究機構 代表理事 黒田岳士 (以下  黒田)日本では「自分の健康は自分で守る」という言葉がよく使われます。先生にもご参加いただいたGRPIの研究会では、健康づくり政策の実効性を高めるためには、「自分たちの健康は自分たちで守る」という意識を醸成していくことが重要だと提言しました。

一方で、「自分の健康は自分で守る」という自己責任論と何が違うのか分かりにくい、という指摘もありました。この違いを、先生はどのように考えていますか。

京都大学大学院医学研究科 社会健康医学系専攻 社会疫学分野 教授 近藤尚己 (以下  近藤)そもそも「ヘルスプロモーション」の本質は、一人ひとりに「自分で健康になりなさい」と求めることではありません。一人ひとりの健康が守られ、つくられていくような環境を整えることです。

例えば英国では、パン製造業者など、さまざまな関係者が協力して、市販されているパンに含まれる食塩の量を少しずつ減らしていくことで、実際に高血圧者を減らした取り組みが行われました。一人ひとりに「塩分を控えてください」と求めるのではなく、普段と同じようにパンを食べていても、自然に食塩摂取量が減っていく環境を、協力して、皆でつくる。これがヘルスプロモーションです。

日本では「健康増進」という言葉で「ヘルスプロモーション」の考え方を翻訳して輸入したことから、本人が自分の健康を自分で増進するという部分にウェイトが置かれすぎてしまった面があると思います。

もう一つ、世界保健機関(WHO)が大切にしている考え方に「プライマリ・ヘルスケア」があります。特に社会的に不利な状況にある地域などで健康づくりを進めるときに、外から来た人が「私たちはこうしてうまくいったから、あなたたちもこうしなさい」とやり方を押し付けても、うまくいきません。

そこに暮らす人たち自身が中心になって、健康な環境やまちを自分たちでつくっていく。その自主性を尊重しながら、専門家や行政が伴走する。そうしなければ、支援する人がいなくなった途端に元に戻ってしまいます。だから、「自分の健康は自分で守る」を少し変えるなら、「自分たちの健康は自分たちで守る」。地域の人たち自身が中心になって健康な環境をつくっていくことを、周囲が支えていく。それが大事です。

 

「やめなさい」では、人は変わらない

黒田) 人に「健康のためにこうしてください」と求めるだけでは、人の行動はなかなか変わらない一方で、環境や周囲との関係が変わることで、本人が自ら行動を変えていくこともあるということですね。

近藤) 人とのつながりを大切にすることで、本人の行動が自然に変わっていくこともあります。面白い例が、ある診療所で行われた禁煙の取り組みです。禁煙外来では、一人ひとりに禁煙指導をしたり、禁煙補助薬を処方したりして、「頑張ってやめましょう」と支援します。でも、それだけではなかなかうまくいかない人もいます。「タバコを吸っている自分は駄目だから、それを克服しなければいけない」と考えて、本人に頑張ることを求める。そこには限界があります。

一方、その診療所では、禁煙外来でうまくいかなかった人たちに集まってもらい、まずは愛煙家同士として語り合う座談会を開いたのです。そこでは禁煙を強制するのではなく、タバコを吸う自分自身を受け入れながら、人とのつながりを築くことが重視されました。好きな銘柄のたばこをそれぞれくゆらせながら、タバコ愛を語ってもらうのです。すると、参加者の中から自然と「私、もう一度タバコをやめます!」と言う人が現れ、実際に禁煙につながったといいます。無理に服を脱がせようとする「北風」ではなく、環境を変えて本人が自ら服を脱ぐ。私は「北風と太陽」の寓話に似ていると思っています。

環境を変えると、その人自身がそれにどうすべきか、ここにいる自分とは何で、何が大切なのかが実感としてつかめるようになります。愛煙家座談会はその点で、特に秀逸です。「やめなさい」と言われてやめるのではなく、自分の存在を認めてもらえる場所があって、そこで共感できる人たちとつながる。その中で、自分自身が本当にどうしたいのかを考えるようになる。そうして生きがいやウェルビーイングが高まってくると、自分の人生の中でタバコが占める優先順位が下がって、「だったら、タバコはやめよう」と自分で決める人が出てくるのだろうと思います。

黒田) タバコだけを問題として取り出して、それをやめさせようとするのとは、かなり違いますね。

近藤) 公衆衛生では、こうした人と人とのつながりを「ソーシャルキャピタル」、つまり一つの「資本」として捉えます。一人で頑張って禁煙するだけではなく、まずタバコを吸う自分をお互いに認め合う。人とのつながりそのものが、健康づくりの資本になるという考え方です。

この取り組みも、座談会だけではなく、その後「愛煙家登山の会」のような活動にも広がっています。そうなると、病院だけではできません。登山を一緒にやってくれる組織など、外部のパートナーが必要になる。医療機関と地域の組織がつながることで、活動そのものも広がっていきます。個人と個人だけではなく、組織と組織がつながることも大切です。これが社会的処方が目指すもう一つのゴールともいうべき「地域共創ケア」の推進です。

 

孤独・孤立対策を、医療につなぐ

 黒田) ここまでのお話を聞くと、人とのつながりや居場所が健康を支える上で大きな意味を持つことが分かります。一方で、現実には孤独や孤立を抱えていても、自分から地域の活動や支援に繋がることが難しい人もいます。そうした人たちに医療はどのように関わることができるのでしょうか。

近藤) その人の生きがいやウェルビーイングを高める、そのための居場所やつながりをつくるところまでを、あらゆる診療現場で支援できる医療の仕組みが必要だと思います。それが社会的処方の目指す医療の変革です。

健康にとって人とのつながりが重要であることは、公衆衛生の分野では以前から指摘されています。一方で、医療の現場では、患者さんの社会的なつながりや人間関係まで十分に見られているとは言えません。

内閣府が行っている孤独・孤立の実態把握に関する全国調査を見ると、本人や家族の病気など、医療に関係する問題と孤独感には強い関係があります。そう考えると、病院や診療所は、孤独や孤立を抱えている人と出会い、それを発見するための重要な場所「タッチポイント」のはずです。ところが、今はそこで出会った患者さんの孤独や孤立が見逃されてしまっている。まず医療の場でそれを見つける。そして、見つけた後に、その孤独や孤立に対応できるところにつなげる。この二つの連なった仕組みを導入するだけでも、大きな効果があると思います。

 黒田) 孤独や孤立への支援というと、相談窓口や居場所をどうつくるかという議論になりがちですが、その前に支援を必要としている人にどう気付くかという問題がありますね。こうした取り組みを広げていく上では、何が課題になるのでしょうか。

近藤) 医師法や医療法で、患者さんの社会的背景を見てはいけないとか、地域につないではいけないと決められているわけではありません。ただ、日本の医療現場は診療報酬制度の中で動いています。制度の中で評価されていないことを積極的にやるインセンティブは、どうしても弱くなります。

ここは、社会的処方が広がった英国との制度構造の違いが関係しています。英国では、社会的処方によって患者さんが元気になり、医療を必要とする機会が減ることが、NHS (National Health Service:国民保健サービス)にとっても、医師や医療機関にとってもメリットになります。支給される医療費が人頭払い(一人当たりの定額を医療機関に支払う診療報酬償還制度)なので、一人当たりにかかる時間や負担減少が直接診療上の時間やコストの負担低下につながるからです。担当している患者さんが健康になって医療需要が減れば、その分、一人ひとりの患者さんに時間をかけ、ケアの質を確保しやすくなる。医療を効率的に提供し、医療の質を上げるという意味でも、社会的処方を進める理由があるわけです。

一方、日本は出来高払いが中心です。患者さんを診療するほど収入が上がる仕組みなので、患者さんが元気になって病院に来なくなることが、医療機関の経済的なインセンティブにはならないのです。

黒田) では日本でも社会的処方を診療報酬の対象にすれば良いということになりますか。

近藤) そこは慎重に考えた方がいいと思います。私は、社会的処方をそのまま一律に診療報酬化すればいいとは考えていません。

例えば患者さんをスクリーニングして、「あなたは孤立していますね。では、ここへ行ってください」と地域の活動を紹介する。それで点数が付くという仕組みにすると、社会的処方そのものが形式化してしまう可能性があります。大切なのは、その人の社会的背景や人とのつながりに関する情報が集まり、相談をすすめる中でその人に必要な関係や居場所が見つかることです。

黒田) 全国一律に新しい制度をつくるのではなく、日本の医療制度の中で実際に機能する方法を探していく必要があるということですね。

近藤) そうですね。そのため私は、政府に対して、制度を全国一律に展開するのではなく、まずはモデル事業として実践することを提案し、3年間取り組んでもらいました。

その中で、特に大きな可能性を感じているのが、特定保健指導への社会的処方の実装です。実際に、栃木県宇都宮市や新潟県十日町市では、特定保健指導の場で生活についてアセスメントし、その結果をもとに栄養士や保健師が支援する取り組みが行われています。

単にメタボリックシンドローム対策の指導をするのではなく、本人の生活状況や生きがいについても話を聞きながら、信頼関係をつくっていく。メタボ対策そのものを目的にするのではなく、その先にあるウェルビーイングや本人らしい生き方まで一緒に考えていくことで、保健指導も進めやすくなります。

 

「おせっかい」を広げる仕組みをつくる

黒田) 先生が大会長を務められた「社会的処方・文化的処方国際会議(ISPC2026)」でも、コミュニティナーシングの取り組みの中で、「おせっかい」という言葉が出てきたのが印象に残っています。

私自身、政府で「再チャレンジ支援」に携わって、全国の自治体に支援担当者を置くよう呼びかけた際、事務処理能力の高い方よりも、熱意を持って少し踏み込んで声をかける「おせっかい人材」の方が人を支援する業務には相応しいと訴えました。

こうした「おせっかい」を社会の中でどう広げていけばよいのでしょうか。

近藤) 人と人とのつながりが大切だということ自体は、みんな分かっていると思います。でも、今はお互いの境界を越えてはいけないのではないかと遠慮するようになっています。

専門分化が進んだことも関係しています。

医師は「これは福祉の領域だから」と考える。あるいは「これは看護師の仕事だから、自分が言うのは申し訳ない」と考える。それぞれが専門領域を侵さないように空気を読み合って、「三すくみ」のような状態になってしまうことがあります。しかし、専門職である前に、一人ひとりが市民であり、地域の住民です。気になる人がいたら声をかける。そういうことが、もっと自然に起きてもいいと思います。

昔は助け合わなければ生活できない場面が多かったので、そうした関係が自然に生まれていました。今の社会で「もっとおせっかいを焼きましょう」と根性論で言っても、なかなか広がりません。だから、おせっかいが広がりやすくなる「仕掛け」をつくることが必要です。それをファシリテートするサービスがあってもいい。

公的な力でやる方法もありますし、本当に社会的な価値があるのであれば、ビジネスとして成り立たせる方法もあると思います。例えば自治体から委託を受けて、事業者などが見守りや住民の「通いの場」を支える方法があります。個別の見守りサービスであれば、住民から会費をもらう方法もあります。地域の企業が支えるという方法もあります。その地域で長く事業をしている企業にとっては、地域が衰退すれば、自分たちの事業にも影響します。だから、地域を元気にする活動を企業が支えるという形もあり得ます。

一人の人や一つの組織だけでできることには限界があります。それぞれがやっていることをつないで、一人や一つの組織では見つけられないマッチングをする。それによって、より大きな地域の動きが生まれることがあります。組織同士のつながりも大切です。私は、そういう「つながりの力」を信じてやっています。

黒田) お話を伺って改めて感じたのは、病気を治療することと、人を健康にすることは、必ずしも同じではないということです。社会的処方は、医療が患者さんの社会的な背景や人とのつながりにも目を向け、必要な地域の支援や活動へつないでいくための重要なアプローチだと思います。

そして、そうした取り組みを一部の人の善意や頑張りだけに任せず、社会の中で持続する仕組みにしていくことが、これからの健康政策には求められるのだと思います。政策の実効性と実践性を考える上で、多くの示唆をいただきました。本日はありがとうございました。

 

Pic 2

 

聞き手 黒田岳士・一般社団法人グローバル政策研究機構 代表理事